「地球にやさしい」「環境に配慮した」「サステナブル」――。
この言葉は、ここ数年で社会の合言葉になりました。
企業はESG(環境・社会・ガバナンス)を掲げ、金融市場も「持続可能な投資」を推進しています。
その動きはとても前向きに見えます。
しかし、経済の歴史を振り返ると、「善意」がブーム化したときほど、裏側には“過熱”の兆しが隠れています。
善意が巨大な市場になる瞬間
本来、環境や社会貢献への意識は、人間が持つ倫理的な感情に根ざした自然なものです。
けれども、金融がそこに入り込むと話は変わります。
「サステナブルを買う」という行為が、いつの間にか商品になるのです。
たとえば、グリーンボンド(環境債)、ESGファンド、カーボンクレジット。
それらは「地球のため」という名目で資金を集め、企業に投資されます。
もちろん、多くは正しい活動です。
けれども中には、実態の見えない投資案件や、“環境”を飾りに使っただけのプロジェクトも増えています。
金融市場にとって、サステナブルは“新しいテーマ株”になりました。
かつてのITバブルや不動産バブルのように、「これは正しいことだから伸びるはずだ」という思い込みが資金を膨張させています。
善意が過熱すると、それはやがてバブルに変わります。
なぜ人は「善意のバブル」に気づけないのか
人間は、道徳的に“良いこと”を疑うことが苦手です。
「環境保護」「平等」「社会貢献」という言葉は、それ自体が反論しにくい力を持っています。
そのため、数字や実態を冷静に見ることを忘れやすくなるのです。
これは投資家だけでなく、私たち消費者にも当てはまります。
「エコ」「オーガニック」「地球にやさしい」と書かれた商品を見たとき、
多くの人はその背景を確かめるより先に「良いことをしている気分」になります。
それは心理学でいう“モラルライセンシング(道徳的免罪)”です。
良いことをしたという安心感が、別の行動の判断を甘くしてしまうのです。
飲食業に広がるサステナブルブーム
飲食業界でもサステナブルの波は急速に広がりました。
プラスチック削減、地産地消、食品ロス対策、フェアトレード――。
どれも素晴らしい取り組みですが、その一方で“見せかけだけのエコ”も少なくありません。
リサイクル容器を導入しても、実際の回収システムが追いつかない。
地産地消を掲げても、仕入れコストが高くて持続できない。
食品ロスを減らそうとしても、在庫調整が追いつかず結局廃棄が増える。
「サステナブル」という言葉が目標ではなく、目的そのものになってしまうと、方向を見失ってしまうのです。
サステナブルは“手段”であって“免罪符”ではない
経営において最も大切なのは、「サステナブルかどうか」ではなく「誠実かどうか」です。
たとえば、地元の農家と直接取引を続けること。
お客様に食材の背景を伝えること。
これらは特別なエコ活動ではありませんが、本質的な“持続可能性”につながっています。
サステナブルは、看板ではなく関係性の中に宿るものです。
金融がそれを“ラベル化”した瞬間、本来の意味が薄れてしまいます。
私たちが本当に目指すべきは、「地球のために見せるエコ」ではなく、「人と地域が生き続けるエコ」だと思います。
善意の熱狂が冷めたときに残るもの
もし、サステナブルバブルが弾けたとき、何が残るのでしょうか。
おそらく、表面的なプロジェクトは消えていきます。
けれども、真摯に取り組んできた小さな実践は残ります。
たとえば、地元農家と協力して食材を無駄なく使う店。
スタッフの働く環境を守り、離職を防いできた店。
お客様との信頼を丁寧に積み上げてきた店。
これらは、どんな金融ショックが来ても強いです。
“善意の流行”が終わっても、“人間の誠意”は残るからです。
経営者として意識したいこと
- 「なぜそれをやるのか」を明確にする
社会的に良いことでも、目的が曖昧だと継続できません。 - 数字でなく関係を育てる
サステナブルとは、長く続く関係をつくることです。取引先やお客様との信頼を重ねましょう。 - トレンドではなく哲学を持つ
流行に合わせるより、自店なりの価値観を持つほうが結果的に持続します。 - スタッフにも共有する
経営理念が現場まで浸透していれば、どんな環境変化にも柔軟に対応できます。
結論 ― 本当の持続可能性は“人の心”にある
サステナブル金融が一時の熱狂で終わるのか、それとも本物の変革になるのか。
それを決めるのは、制度でも投資でもなく、私たち一人ひとりの意識です。
飲食店という場所は、人と人が信頼を交わし、感謝を循環させる空間です。
そこには、数字にはできない“持続可能な喜び”が生まれています。
だからこそ、私たちは流行のサステナブルではなく、心のサステナブルを追求するべきだと思います。
バブルが弾けても、人の優しさは消えません。
本当の意味で「続く」価値は、善意ではなく、日々の誠実な積み重ねの中にあるのです。

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